街から電信柱がどんどん取り外されています。
狭い歩道をなお狭くして邪魔だったり、はり巡らされた電線が異様な光景に見えて、電信柱がキライでした。安全面を考えても、街の美観を考えても、一日も早く取り外されればいいのにと思っていました。
しかし電信柱が取り外された街は、広々とすっきりした反面、なにかガランと空虚で寂しいものに映りました。電信柱が美観を悪くしていたという以上に、取り外した方が、街並の悪さが際立ってしまった、と感じるのです。
安っぽい、もしくは自己主張の建物ばかりが目立っているようです。実は、電信柱がこれらの味気ない建物を隠し、生活感のある人々の営みの風景を作ってくれていたのだという一面に気づきました。
電気の開通とともに生まれた電信柱のある風景…。かつては文明への憧れと喜びで迎えられたものだったでしょう。この文化にも似た日本の風景が消え去ろうとしています。これからの街づくりに関わる人たちも、そこに住む私たちも、それ以上のすばらしい街を創り上げていくのだという想いを込めて、覚悟していかなくてはならないと思いました。
飾り物を取って自分を見ることのススメ
街の話だけではなく、人間にも同じようなことがいえます。いろいろな肩書きやファッションで身を飾り、本質が見えなくなっている場合が多いからです。見栄やプライドも同じかもしれません。飾り物を取り去ってもチンケにならない人間性を、一つ一つ、歳を重ねながら作り上げていきたいものです。