納得という結末のプロセス - 2

はじめのうちは「これを認めてくれないクライアントの方がセンスがないんだ」「理解がないんだ」と思っていました。

しかしそのうち「相手を責めてばかりいても仕方がない。どうしたらいいのだろう」と考えるようになりました。

すると、自分が理解したつもりのことが、クライアントから見て正しいかどうかという確認作業をしていなかったことに気づいたのです。

こんな独りよがりでは、相手が理解を示してくれるはずもありません。

それからは、自分が思っていることでいいのかどうか、確認作業をするように心がけました。

すると以前のように否定されることは少なくなったのですが、それでもクライアントは担当者の好き嫌いで判断してきたりします。

それをどうにか説得しなければ仕事が進みません。

そのうちプレゼンテーション力もついて、なんとか説得できるようにはなったのですが、どうも広告の分野ではシロウトであるクライアントを、専門家の力技で押さえ付けているような部分があるのではと思うようになりました。

何かが足りないと思いました。

そしてわかったのが、結局、自分もクライアントも消費者も、みんなが納得できるようなものでなければいけないということでした。

みんなを納得させるのはとても難しいことですが、この物語を完結させる努力をしなければ理想の結果は生まれないのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月30日07:33

納得という結末のプロセス - 1

私は長い間、広告を作る仕事に携わってきました。

そしてわかったのが、広告とは50%のサイエンスと50%のアートでできているということです。

サイエンスとは、消費者がどんなものを欲しがっているかというマーケティングであり、分析力のことです。

アートとは、消費者の目を引きつけインパクトを与えるための絵やデザインや音としての魅力であり、表現力のことです。

広告を作るというのは、企業側の「こんないいものを社会に提供したい」という思いからできた商品を、生活の中でそんなものが欲しいと思っている消費者に届けるための、思いから思いへ橋渡しする仕事です。

つまり、企業側の思いをくみ取り、ターゲットとなる消費者に伝えるために最高の表現をするという、「形のない」思いを「形ある」表現に落としていく仕事です。

ですから広告を作るには、クライアントである企業側の心と、消費者の心の両方を理解しなくてはなりません。

私がデザイナーになったばかりの頃は、それがまず大変でした。

なんとか自分なりに理解してクライアントに広告案を提案するのですが、どうも認められないのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月29日08:17

人生は「起承転結」の物語からできている -2

この物語の創りの善し悪しで、どんな成長をするかが決まってきます。

たとえば、何度言っても変わらない超ガンコな人がいたとします。

「自分で散らかしたところは自分で片づけて」と言っても片づけないとか、「帰りが遅くなる時はちゃんと連絡して」と言っても連絡してこないとか、「約束の時間は守って」と言っても守らないとか、そんな変わらない人です。

この場合には、どのような物語展開ができるでしょう。

◆物語A

起「現象・存在」
……何度言っても変わらない超ガンコな人が存在している。

承「捉える」  
……この人は変わらない人だ、ということに気づいた。

転「受け入れる」
……この変わらない人をどうしたら変えることができるんだろう。

結「投げかける」
……今度やったら、もっと厳しく叱ってやろう。どんなに間違っているか意見してやろう。

◆物語B

起・承までは物語Aと同じだとして

起「現象・存在」
……何度言っても変わらない超ガンコな人が存在している。

承「捉える」  
……この人は変わらない人だ、ということに気づいた。

転「受け入れる」
……なんでこんなヤツがこの世に存在しているんだ?理解できない。

結「投げかける」
……こんなバカなヤツとは関わりを持たないようにしよう。

◆物語C

ここも起・承までは物語Aと同じだとして

起「現象・存在」
……何度言っても変わらない超ガンコな人が存在している。

承「捉える」  
……この人は変わらない人だ、ということに気づいた。

転「受け入れる」
……そんな人を見ていつまでもイライラしている自分こそが、実はいつまでたっても変わらない人間なのではないか。

結「投げかける」
……人を変えようなどと大それたことを思う前に、まずそんなことでイライラしない自分になろう。そして意見を聞いてもらえる自分になろう。

いかがでしょう。どの物語が正しくてどれが間違っているとは一概に言えませんが、このように捉え方ひとつで物語の展開が変わり、自分に入る情報もちがってきます。

日々の生活も人生も、このような起承転結からできているのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月28日07:29

人生は「起承転結」の物語からできている - 1

私たちは「捉える」「受け入れる」「投げかける」の思考トライアングルで物語を創っているという話をしました。

これを「起承転結」という一連のパターンにすることができます。

起承転結とはよく四コママンガなどに使われる、始まりがあって、それが続いていると思ったら、何か転換があり、最後に結末で結ぶというストーリー展開のことです。

これを私たちの生活に当てはめてみると、以下のような一連の物語を展開しているといえます。

起…事の起こり。何か「現象・存在」がそこで起きているということ。

承…起を受け継ぐこと。何かのできごとに自分にが気づくということであり、「捉える」に相当します。

転…話が転換すること。気づいたことをどう理解するかということであり、「受け入れる」に相当します。

結…結末ということ。どんな答えを出すか、どいういう行動をとっていこうかということであり、「投げかける」に相当します。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月27日07:31

投げかけることの大切さ - 2

また、まだ行動を起こしていなくても、「~しよう」「~したい」と思うことも行動の第一歩だといってもいいと思います。

意志を持つことで、それまで気づかなかったことに目を向けるようになったり、心のあり方が変わってくるからです。

自分に意地悪をしてくる人がいて、その人は生活で大変な思いをしているためイライラのはけ口として自分に八つ当たりをしているのだ、ということに気づいたとします。

その時、「でも、絶対に許せない」と思うのと「今はまだ無理だけど、そのうち許してあげられるようになろう」と思うのでは、その先の結果がちがってきます。

投げかけるという行為は、「形のない」思いや考えを「形ある」アクションや言葉に変えて誰かに伝えるという自己表現であり、そこに表れるものが、その人の個性や成長具合ということができます。

このように私たちは、良くも悪くも、答えを出すことで前に進んでいけるのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月26日08:02

投げかけることの大切さ - 1

いくらいろいろなことに気づいて理解したつもりでも、それを自分の言動に活かしていくのでなければ、これも本当の成長にはつながりません。

行動に移してみないと、その判断で本当に良かったのかどうかという結果が出ないからです。

行動に移せば何らかの結果が出て、「やっぱりこれでよかったんだ」とか「これは間違っていたんだ」と確認することができます。

そして「この成功を何につなげていくか」「この失敗をどう活かすか」という、次のステップの新たな「捉える」要素にしていくことができるのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月25日07:32

受け入れることの大切さ - 2

「受け入れる」とは気持ちの問題であり、工夫しだいで誰にでもできることです。

「この人が嫌だ」と思ったら、「なぜ自分は嫌だと思うのだろう?」「なぜ、こんな嫌な人が世の中に存在するのだろう?」と考えてみることも受け入れのひとつの方法です。

一呼吸置くところに冷静に考える余裕が生まれ、「実は自分の方が一方的にひがんでいた」などという思わぬ原因が見つかったりもします。

「なぜ存在するか」というようなことは、哲学的な考え方や倫理観が必要になってくるため、そうそう答えは出ないかもしれません。

でも考えてみることで一歩でも二歩でも自分の視野が広がり、人生観が深まっていきます。

どんなものにも良い部分と悪い部分があり、自分が嫌だと思うものの中にも自分を成長させてくれる情報が含まれています。

受け入れの気持ちを持つことで、その良い部分という大切な情報を取り入れていくことができるのです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月24日07:46

受け入れることの大切さ - 1

せっかくいろいろなことに気づいても受け入れることができず、はねのけてしまっていては成長の素にすることができません。

気づいたこと、捉えたことは肯定しなくてもいいですから、「そういう事実があるのだ」「この人はそう思っているのだ」などと一度受け入れることで、より有効な問題解決の方向に向かうことができます。

とても苦手な人がいて、どんなに「イヤだ、イヤだ」と思っても、その人が変わるわけでもないし、まして消えるわけでもありません。

かえって否定ばかりしている自分の方が疲れて苦しくなってしまいます。

そんなことを続けるより、「こういう人がいるのだ」という事実を受け入れることで、「では、どう対応していったらいいのだろう?」と次の段階に進むことができます。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月23日07:39

捉えることの大切さ - 2

花を見ても何も感じないより、「きれいだな」「周りが明るくなっていいな」「可憐でいじらしいな」などと思える方が、花の存在意義を高められるし、自分にとってもココロの財産が増えます。

いろいろなことに気づけるようになると、良いことばかりではなく悪いことにも気づくようになりますが、それは自分を見返るキッカケにしたり戒めにして好転させればいいのです。

心に余裕がなければ気づくこともできませんが、反対に、気づく努力をしていくことで心が豊かになっていくという相互関係もあるようにも思います。

気づくこと、捉えることはすべての物語の始まりであり、どれだけ感性が磨かれているかというバロメーターでもあります。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月22日06:39

捉えることの大切さ - 1

同じできごとを目の前にしていながら、気づく人と気づかない人がいるのはなぜでしょう。

これは、普段からどれだけ「なぜ?」「どうしたらいいのだろう?」とものごとを深める気持ちを持っているか、

確認作業をしているかどうかの差だと思います。

人間は五感というすぐれたセンサーを持っていて、本来はとても気づく能力が高いのです。

そして実際に、いろいろ感じたり捉えたりしています。

しかし面倒だと思ったり自分には関係ないと思ったりすると、見て見ぬふりをしてしまうということが起きてしまいます。

私たちはつい、日々の生活の中で「これは自分にとって大切なこと」「これは関係ないこと」と今の価値観で判断してしまい、必要ないと思うものを切り捨ててしまっていることが多くあります。

しかし本当は、今は関係ないと思えることでもきっと何か意味があるかもしれないと、身の周りで起きているできごとや現象をできるだけ捉えることが大切です。

興味のないものにも着目することで、いろいろな気づきが生まれ、成長の始まりとなるからです。



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2010年11月20日08:08