何に生まれたのではなく…




どんな星の下で何に生まれたのかが問題なのではなく、生まれてからどんな生き方をするかだと思います。それは人間にも物にもいえることです。
たとえば便器に生まれたとします。同じように作られた便器でも、きれいにきれいに磨かれてていねいに扱われる便器と、ホントに汚く扱われる便器があります。どんなに高価な花瓶でも、粗末に扱われて長く使ってもらう前に壊されてしまうこともあります。そう考えると、命のない物にも人生のようなモノがあるのだといえます。
はたして、その人生の善し悪しはどこで決まるのでしょう。やっぱり人間は、生き方だと思います。どんなにお金持ちに生まれても、良い家柄と呼ばれる家に生まれても、幸せだと思えない人がいます。逆に貧しく生まれても、何かハンデを背負っていても、幸せに暮らしている人もたくさんいます。どんな風に生まれてきたか…ではなくて、どんな人生を歩むかが重要なのです。
もって生まれたモノは親が与えてくれたモノ。しかし、人生は自分が築いていくモノです。顔だって、20歳を過ぎてからは、親がくれたパーツの善し悪しを問うのではなく、自分の責任を顔で持たなければいけないのです。どう生きていくかにこだわった方が、より有意義な人生を送れるのだと思います。
人生哲学を作ってみることのススメ
人生哲学を作るのに、こんな基準を持ってみてはどうでしょう。 ●人を感動させられるようなものにしよう●想いだけではなく、説得力のあるひとつの理論にしよう●自分の経験から生み出そう●間違っていると思ったところはすぐに正そう●なるべく人に聞いてもらおう●誰にでもわかりやすいようにしよう●人の人生観も受け入れよう●その哲学通りに生きてみよう。  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2008年08月29日08:07

空のように



  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2008年08月16日06:43

サンタは存在する




子供の頃のクリスマス。枕元にプレゼントが置いてあると、一気に階段を駆け下りてお父さんとお母さんに「サンタさんからプレゼントがきたよ!」と声をあげたものです。
ホントは、まずサンタさんに「ありがとう」。それからお父さんとお母さんに報告する。そして最後に「自分も大人になったら、サンタさんのようにみんなにプレゼントして喜ばれるようになるぞ」と思えたらすばらしかったのでしょうが、なにせ普通の子供ですから、とにかく自分がうれしくて胸が一杯でした。
ところが小学校に上がった頃、兄に耳打ちされました。「あのプレゼント、母さんが置いてるんだぞ。オレ、見たモン」。ショックでした。遠い外国からやってきて、ニコニコしながらプレゼントを配る不思議な人は、いないというのです。
サンタクロースは実在するでしょうか。実在しないと思います。しかし、「子供を幸せな気持ちにさせたい、夢を与えたい」という、サンタの魂とでもいうような想いは、お父さんとお母さんの心に宿っていると思います。そして、その想いがプレゼントを運んでいるのではないでしょうか。だから、サンタクロースは形としては実在しないけれど、実は存在している。今はそう信じています。
サンタを信じなくなった時から、プレゼントは両親から直接、手渡しされるようになります。しかし、物を物としてでしか語れない人は夢を持てない。幸運も、幸せも、チャンスも、さまざまな形で自分の目の前に現れてくるものだからです。
存在を意義で感じることのススメ
目に見えないもの、形のないものも「ある」と信じれば、あらゆるものが存在することになります。「神さまや仏さま」は、人のために尽くしたい、感謝の気持ちを持って日々を送りたいという心に。「悪魔」は、人を妬んだり恨んだり、欲望に走る醜い心に。そして、私たちはそのどれをも持っています。天国も地獄も今ここにあって、そのどちらで生きるかを決めるのは、自分自身なのだと思います。  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2008年08月05日17:52