間違いは正解の素


多くの人は、「間違う」のはいけないことだと思っているようです。そして、なるべく間違わないようにしています。  ミスを犯さないように気をつけるのはもちろん大事ですが、間違いを悪者あつかいするあまり、間違えば落ち込み、人の間違いは責めてしまうということはありませんか。  はたして、今まで間違ったことのない人がいるでしょうか。それどころか間違ったおかげで理解が深まったり、次のステップへ心置きなく進むことができているのではないでしょうか。  間違いは正解への道案内をしてくれます。大切なのは、正しく間違うこと。そのために、間違った時にしてはいけないことがあります。「言いわけをする」「忘れようとする」「人のせいや環境のせいにする」「落ち込む」などです。では間違った時にやっておくべきことは何でしょう。「反省をする」「関係者に謝る」「原因を探る」「必要になるまで大切にココロにしまっておく」などではないかと思うのですが、どうでしょうか。  間違いを言い換えるなら、それは「経験」です。広告人として、自分が手がけた仕事、たとえばポスターなどを壁に貼っておくのですが、何日か見ていると「あっ」と思うことがいくつか出てきます。「もっとこうすれば良かった」という意味での間違いに気づくのです。これは、自分の段階的成長を確認するための作業なのです。  大切なのは正しく間違う毎日の積み重ね。間違いは正解の素だと思います。
まず自分の感情に打ち勝つことのススメ
自分の意にそぐわない人間を心の中で排除しても、また意にそぐわない人は現れます。永遠に同じことを繰り返すのか、どこかで受け入れていくのか、その差はそれこそ天国と地獄。よけいな苦しみから一刻も早く抜け出し、イキイキと生活するためにも、変われる自分であることが大切なのではないでしょうか。仕事も生活も恋愛も、みんな同じことだと思います。  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2007年08月30日08:46

歩く

  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2007年08月18日08:21

小さかった頃


「小さかった頃」といっても、子供の時ということではありません。自分が人間としてもっと小さかった時のことです。
誰かと会う時、苦手な人に対しては妙に引いてしまったり、好きな人や得意な人に対しては妙になれなれしかったり。とにかくムラがありました。
特に、有名な方や専門性の強い方とか、すごい人なのではと感じる人には、意味もなく緊張していました。
それはきっと、自分の底の浅さを見破られるのが怖かったからだと思います。ちっぽけな自分の自尊心を守るために、差があり過ぎる人には媚びを売って、ちょっとだけすごそうに見える人には虚勢を張る。
振り返ると恥ずかしいのですが、そんなことを続けてきました。
しかし、恥ずかしいと思えるようになっただけでも、多少成長できたのではないかと思うのです。今では、そんな苦手だった人たちに、どんどん会いたいくらいです。なぜなら、すごい人はその優れた部分のすばらしいモデルになってもらえるからです。すごい人を知ることで、自分の悪いところや小さいところを教えてもらえるのもありがたいことですし、自分にない知恵や専門性をアドバイスしてもらえて、とてもお得だと思います。こうやって怖いものがひとつ減った今、人と会うことや人生がとても楽しくなりました。
あなたらしい積極人生のススメ
何かの専門家だったり地位や名誉がある人だからといって、人格者とは限りません。すごいといわれる部分は尊重するにしても、その人と自分とを見比べて卑屈になる必要はないし、逆に本当の人格者に出会ったのなら、それこそすごいことで、教えてもらうことは山ほどあります。まず、今の自分のありのままの姿、つまり等身大の自分を受け入れ、卑屈にならない。それだけで、かなり積極的に生きていけるのではないかと思います。  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2007年08月12日09:14

雑草のように

  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2007年08月07日07:44

支度という礼儀



よく、いろいろな人の集まりに出る機会があります。いつも思うのは、参加する方たちの中で、人に会うための支度や心構えをして来る人が少ないのではないかということです。
自分の商売のカモを探しに来ているだけのような人もいます。何かおいしい話がないかとか、ただただ良い話を聞きたくてとか、与えられることだけを期待して、お客さんのような気分でやって来る人が多いように感じるのです。
このように受け身だけの人もどうかと思いますが、むやみやたらと主張する人、人の意見を批判する人、人の意見を聞くにしても、おもしろおかしい部分だけを聞いてうわさ話する人も多いようです。そこには、新しい情報を教えてもらい学ぼうなどという態度が感じられません。せっかくたくさんの人と出会い、新しい世界が開けるチャンスなのに、もったいないことだと思ってしまいます。
集まりの席では、自分が何者なのかをスピーディに説明できたり、相手の自己紹介をしっかり聞いたり、その場を楽しく盛り上げる工夫をしたり、自分から、参加している人に何か情報を提供するなど、そんなことがしっかりできる自分になりたいと思っています。あいさつのような一般的な礼儀はもちろんのこと、参加するからには、その場にいる人に少しでも有意義な時間を過ごしてもらうための支度をしていくのも、人に会う礼儀なのではないでしょうか。
参加意識を持って人と会うことのススメ
これから自分は何をしに誰と会うのか、自分にはどんな役割があるのかを考えるのは、普段の生活の中でも大切なことだと思います。飲み会なども、ただ楽しむために行くだけでなく、どれだけ自分が人を楽しませられるかという意識を持って参加することが大切なのではないでしょうか。同じ時間を過ごすのでも、きっと充実感が大きく広がってきます。  


Posted by モチヅキ セイジ. at 2007年08月02日18:26