会社の近くの公園に、樹齢110年のそれはそれは素敵な木が三本あります。
見晴らしの良い明るくフラットな公園に、「これまでも、そしてこれからもずっとみんなを見守っていくからね」と言って大黒柱のように立っています。
冬になっても緑の葉が生い茂っているのですが、ある朝見ると枝打ちがしてありました。前日「枝打ちをしているな」と気にとめていたのです。
枝打ちされたその姿を見て驚いてしまいました。生い茂った風貌もみごとだったのですが、枝打ちされた姿は枝のバランスも良く、風通しも光の通しも良さそうな、見る人の気持ちまでスッキリさせてくれるような姿に変身していたのです。
「う〜ん」とうなってしまいました。人の心に見えたからです。
いろんなことを知りすぎてノイローゼ気味になってしまう真面目な人が多いのではないか、と最近よく思っています。そんな人たちに、このすばらしい枝打ちのように「もう、このことは捨てていいんだよ、その過去はもう充分に学習したんだから、忘れてもいいんだよ」と言ってあげられるようになりたいと思いました。
生きることの先輩であるその木に「人間、のびのび自分らしく生きるために、上手に心の枝打ちをすることが必要なんだ」と教えてもらいました。